1.5℃達成への希望与えるIEA最新報告
株式会社ゼロボード ゼロボード総研 所長 待場 智雄
国際エネルギー機関(IEA)が10月、「世界エネルギー見通し」(WEO: World Energy Outlook)の2023年版を公表した*1。毎年アップデートが行われ、最新の世界のエネルギー需給予測として最も権威があるレポートだが、各国の現行政策をベースに、2030年までには天然ガスを含むすべての化石燃料で需要がピークを迎えるとし、話題を呼んでいる。IEAは「(産業革命前からの世界平均気温上昇を)1.5℃以下に抑える道は狭まったが、クリーンエネルギーの成長のおかげで道はまだ開いている」と述べ*2、悲観的な話題が絶えない気候変動問題の克服に微かな希望の光を与えた。
企業が気候関連財務情報開示タスクフォース(TCFD)の勧告に基づく気候変動リスクの分析と開示を行う際の移行シナリオ(低炭素社会への移行に伴うリスク検討に用いる)を描くにあたり、WEOに記載される再生可能エネルギーの普及率、二酸化炭素(CO2)価格や電気自動車(EV)の普及率などを信頼できるデータとして最も多用している。本稿では同レポートの背景と要点を解説し、気候変動枠組み条約第28回締約国会議(COP28)を経た気候変動政策やエネルギー技術投資への影響について概観する。
3つのシナリオでエネルギー需給の将来描く
IEAは1974年、前年に世界中を混乱に陥れたオイルショックを機に、石油輸出国機構(OPEC)に対抗する形で輸入国が互いに協力し、石油の安定供給を図るための取り組みを進めるため、経済協力開発機構(OECD)の枠内に設立された国際組織(現在日本を含む31加盟国、13協力国)。加盟国は石油備蓄を義務付けられ、供給不安時に協調する*3。WEOはエネルギー市場の中長期展望を分析、政策助言を行うレポートとして1977年に始まり、1998年からは毎年出版、エネルギー業界では権威的存在とされてきた。
一方で、IEAの分析は長年にわたり、エネルギーの安定供給という主要ミッションから化石燃料や原子力を優先し、再エネの役割や価格低下の度合いを軽視しているとして環境団体、科学者、投資家らから批判を浴びて来た*4。トルコ出身のファティ・ビロル氏が2015年に組織内部から初めての事務局長に就いたあたりから、徐々に再エネや水素などを重視する分析にシフト。同年のパリ協定採択を受けて世界が脱炭素へ舵を切ったのに合わせた転換と考えられるが、ビロル氏自身長らくチーフ・エコノミストとしてWEOの編さんを指揮して来ただけに、エネルギー業界には驚きを与えている*5。
近年のWEOは、エネルギー市場や技術の主要な動向を調査・分析し、エネルギー投資と開発に関する中長期の方向性を3つのシナリオに沿って示している。シナリオは順次改訂され、現在は次のものが使われている。
- 公表政策シナリオ(STEPS: Stated Policy Scenario): すでに公表や実施がなされている各国政策に基づく
- 公約シナリオ(APS: Announced Pledges Scenario): 各国が設定した意欲的な目標が達成されるとの仮定に基づく
- 2050ネットゼロシナリオ(NZE: Net Zero Emissions by 2050 Scenario): 2050年までに温室効果ガス排出量ネットゼロを達成するのに必要な道筋
ウクライナ侵攻が再エネ転換加速を後押し
WEO 2023では、最も保守的なSTEPシナリオでも、天然ガスを含めて化石燃料の需要が2030年までにピークを迎えるとの予測を出した。これは、ロシアのウクライナ侵攻によるエネルギー価格の高騰で、安全保障の観点から再エネへの代替がさらに促され、化石燃料時代の終焉を準備することになったという見立てだ。再エネをはじめとするクリーンエネルギーへの投資は、2020年から40%も増加した。世界のエネルギー供給に占める化石燃料の比率は、数十年にわたり80%程度で横ばいだったが、2030年までには73%まで低下すると予想している。
前年の見通しからの変化として、電気自動車(EV)と再エネ普及の勢いが継続していることを挙げた。中でも、2022年に米国でインフレ抑制法(IRA)が成立し、再エネや産業の脱炭素化などに3700億ドル近くが配分されたことが大きい。2020年は世界で販売される自動車25台のうち1台がEVだったが、2023年には5台に1台にまで増えた。米国で2030年に販売される新車のうち、EVが50%までを占めると見込む(2021年時点の見通しでは12%)。
過去10年、原油需要の増加が世界の約3分の2、石炭については大半を占めていた中国だが、インフラ整備が一巡して成長率が鈍化している。一方で、2022年に風力、太陽光発電の導入量で世界の約半分を占め、EV販売では半分を超えた。平均成長率は2030年までに4%を下回ると予想され、そうなればエネルギー全体の需要も2020年代半ばにピークを迎える。化石燃料の消費大国中国が、今度は世界の脱炭素をリードするというのである*6。
総じて、世界全体のエネルギー関連からのCO2排出量は、2025年までに「ピークアウト」するとした。それでも、STEPSシナリオでは世界のCO2排出量はその後も高水準にとどまり、2100年の平均気温は産業革命以前に比べて約2.4℃上昇と、1.5℃度目標をまだ大きく上回ると指摘した。
一方で、各国政府の公約ベースのAPSシナリオでは、ピークアウト後、2050年までに排出量は年間120億トンまで減少すると想定。2100年の世界気温上昇は約1.7℃と、初めて2℃を下回ると予想している。
2015〜2030年のエネルギー関連のGHG排出量
―パリ協定以前の基準シナリオとSTEPシナリオの比較
ネットゼロへは投資の急拡大が不可欠
上記2つのシナリオは各国の政策や技術の進展を積み上げた予測を示すが、IEAは2021年に初めて、2050年にCO2排出ネットゼロが達成される未来を想定し、それに整合するエネルギー需要とそのために必要な変化をバックキャスト的に示す、ネットゼロシナリオを公開した。今回のWEOの発表に先駆けて9月、同シナリオの改訂版を発行している。
その結論としてIEAは、クリーンエネルギー技術の成長により、世界の平均気温上昇を1.5℃に抑えることは依然可能であると、前向きなメッセージを送った。太陽光発電容量とEVの販売台数の記録的な伸びを踏まえ、この2つの技術だけで、現在から2030年にかけて2050年までに必要な排出削減量の3分の1を達成でき、ネットゼロへの道筋に沿っているとした。2021年当初のシナリオでは、ネットゼロに必要な排出削減量の半分近くは、まだ市場に出てない技術によって賄われるとしていたが、改訂版では約35%にまで低下した。また、新型炉の普及などで原子力の容量が2050年には現在の2倍超になるとし(発電に占める割合は9%から8%に低下)、IEAは「電気が未来の石油となる」と高らかにうたった。
水素および水素をベースとした燃料、炭素回収・有効利用・貯留(CCUS)については、技術の進展が遅れているとして、2021年よりも短期での普及の見通しを下げた。中長期には重工業や長距離輸送の脱炭素化に欠かせないとして、2030年から50年にかけての排出量削減の5分の1を担うとした。
NZEシナリオにおけるCO2排出量削減策
ネットゼロを実現するには、これまでにないスピードでの技術普及が欠かせない。同シナリオは、世界の再エネ発電容量を2030年までに3倍、エネルギー効率の改善率を2倍、EVとヒートポンプ販売台数の急拡大、エネルギー部門のメタン排出量を75%減少が必要としている。これはCOP 28の議論で議長国のアラブ首長国連邦(UAE)が主導した方向性と一致している。これには、新興国や途上国においての投資を大幅に拡大することが欠かせず、世界のクリーンエネルギーへの支出を2023年の1.8兆ドルから、2030年代初頭には年間4.5兆ドルまで増加させる必要があるとした。
このような努力を踏まえれば、化石燃料の需要は2030年までに25%減少、CO2排出量は35%削減され、2050年には化石燃料需要は80%減少する。その結果、長工期の新規石油ガス開発や、新たな炭鉱、炭鉱の拡張、休止中の石炭発電所建設は必要ないとした。とはいえ、ネットゼロシナリオでも石油・天然ガスの消費はゼロにはならず、既存の石油ガス資産やすでに承認されたプロジェクトには、継続的な投資が必要であるとしている*7。
今回のIEAのレポートは、2050年ネットゼロおよび世界の気温上昇を1.5℃に止められる道筋を明確に示し、各国に自信を持って脱炭素技術の普及を推進し、大胆な投資を呼び込む努力を呼び掛けた。化石燃料の削減の方向性が見え、今後はトランジションへ向け、クリーンエネルギーの増加と化石燃料投資の減少をどう順序立てて進めソフトランディングに持ち込めるかが、議論になって来るだろう。
<出所先>
*1 International Energy Agency (IEA), World Energy Outlook 2023, OECD.
*2 IEA, Net Zero Roadmap 2023 Update: A global pathway to keep the 1.5℃ goal in reach, OECD.
*3 資源エネルギー庁「IEAのレポートから、世界のエネルギーの“これから”を読みとく」、2019年12月19日
*4 Reuters, “Investors step up pressure on global energy watchdog over climate change”, 18 November 2019.
*5 有馬純「IEAはエネルギーの現実を見据えたメッセージを」、国際環境経済研究所ウェブサイト、2020年5月27日
*6 木内登英「エネルギー危機と中国経済の減速が加速させる世界の脱炭素(IEA見通し)」、野村総合研究所ウェブサイト、2023年11月7日
*7 Brad Plummer, “Peak Oil Is Near, Energy Agency Says, but Climate Change Is Far From Solved”, New York Times, 26 September 2023.